学生時代から 妹島和代、西沢立衛、そして村上徹の影響を勝手に受けて
平面図を旨とする、というか
建築家の仕事はそこだろうと思ってきた。
2年前に手掛けたある陶芸家の家は、予算の関係上
既存平面図を大きく変更する事が出来ず、ダイニングキッチンとリビングを隔てる壁を壊し
一室とする最低限の変更で図面を終えた。
正直に言えば、建築家的役割を果たせず(平面図。。。)
自分の建築になるのだろうか?
たぶん出来ないないだろうと思っていた。
工事監理では一切手を抜かなかったし、初めてご一緒する工務店さんで
明らかに建築家へ対する警戒感が強く、あの手この手でご挨拶した。
現場へは、工事開始から一か月半まで、毎日通った。
通った時間も9:50、14:50を狙い、
工事現場の休憩時間を共にする。
全然、こちらを見て話をしてくれなかった職人たちが
一ヶ月半を過ぎると、こちらを見て話してくれるようになり
そこから心が通い始めた手応えを今でも覚えている。
完成に近づき、「なんか良いぞ」という感触を感じ始めた。
全面にわたり土佐和紙を張った効果なのか、
窓や壁の関係やプロポーションを意識してたのが良かったのか、
未だに思い出しては考えるけど、分からない。
でも、何かあるはずだと考え続けた。
この住宅をきっかけに
「特別なことをしなくても、特別な空間をつくる」をテーマにするようになった。
それも今年に入ってから自分で言葉にするようになった。
明後日、竣工引渡しする住宅がある。
こちらも予算の関係や面積の問題で
大きく既存平面図を変更出来なかった。
屋根、外壁を30年耐久に予算を取り
水回りを今より広く快適にする。
主な設計内容はそれで、断熱環境も優先順位の上位にした。
特別な事はしていない。
それでも、この住宅が好きだなーと思い始める。
手応えも感じる。
いつも完成したら見て頂く方を招く。
何時間でも居て頂けるような心地よい空気がながれる。
それを感じて下さり、言葉にして下さった。
「何もしていない所に、シンプルな所に、本当の自分がにじみ出てくる」と。
2年前の陶芸家の家はきっと何かあるよ、と言って下さったのも彼女で
そこからの2年間の仕事を時系列で見つめ
僕らしい建築の輪郭が形成されつつあると言って下さいました。
僕は独立後、ずっと平面図に拘っていて
平面図=建築家だと思っていたけど、
今回の仕事を通して違うんじゃないか、と思い始めた。
最後に。
写真では、僕の建築の心地よさが映らない。
動画も撮ってみるが、カメラレンズを挟むと伝わらない。
平面図よりもどうやって第三者へ伝えれば良いか
こちらの方が大きな悩みになった。
上の写真は、壁・天井共に土佐和紙仕上げ。
写真ではよく分からない。
土佐和紙は、光を吸収し、柔らかく反射する。
それも心地よく感じる要因だと思っている。
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